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Infertility,Womanhood and Motherhood in Contemporary Indonesia
 Linda Rae Bennett
 Gender and Sexuality in Asia and the Pacific Issue 28, March 2012

インドネシアで、不妊治療を受けたインドネシア人女性20人と、不妊治療の医師11人にインタビューを実施。不妊治療の現場で起きている性差別を明らかにしている。

医師は不妊に対する責任を、生物学的にも(女性の体の機能不全)社会的にも(教育やキャリアの追及)女性に負わせる傾向がある。それだけでなく、医師は、不妊治療がうまくいかなかった時にも、女性の生来の欠点のせいだと解釈する(ヒステリーのせい等)。その結果、女性は生物医学的な不妊治療の領域で、医師が管理すべき御しやすい身体として扱われる。不妊治療の領域における女性の下位はさらにガイドラインによって強化されている。このガイドラインが前提とするのは、すべての女性は母親になり、それ以外の役割やアイデンティティは認められない、また(夫以外との)セックス歴はあり得ないという性差別的な仮説である。対照的に、男性は過去にセックス歴があるものと理解されているが、女性と違い、御しやすい身体とはみなされない。男性が検査や治療に能動的に同意する権利は広く認められている。医師-患者間の相互関係を調査して明らかになったのは、女性患者に対する医師の態度が、結果的に質の低い不妊治療につながりうるということだった。差別的な態度に基づくこうした質の低いケアによって、女性は医師を信頼しなくなり、指示に従わなかったり治療を続ける気をなくしたりして、治療が失敗に終わることもある。

生物医学的な不妊治療の領域で起こる性差別の影響は多様である。女性が不妊治療の標的にされやすいということは、つまり、カップルに子供が出来ない時に女性が負う責任の方が大きいということである。女性由来の不妊ではない場合や、カップル双方に不妊の原因がある場合でも、多くのケースでこういうことが起きている。同時に、不妊治療を受ける男性が相対的にいないということは、適切なリプロダクティブケアを受けていないという点で、男性を差別していることにもなる。


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by technology0405 | 2012-04-26 16:59 | Countries | Comments(0)

インドネシアで不妊治療がようやく身近なものになりつつある。数十年前は、体外受精という言葉すらインドネシアでは耳なじみのない言葉だった。1978年に世界初の試験管ベビーが誕生し、9年後の1987年にはインドネシアにもIVFの技術が導入されたが、国内でこの治療を受けるカップルの数は、他のアジア諸国に比べて現在でも少ない状況にある。

Indonesia Association for In-Vitro Fertilization (Perfitri)のデータによると、2010年に国内で実施されたIVF数は2000件である。ベトナムの6000件やタイの4000件に比べるとかなり少ない。インドネシアの不妊カップルは、シンガポールでの治療を希望するケースが大半だった。
頼れる医療支援システムも人的資源もない上、治療費が高く、情報は少ないことから、インドネシアのIVFは低開発であった。一方で国内の出生率は10-15%と憂慮すべき数字にまで下がっていた。

しかし、事態はここへきて改善の兆しを見せており、不妊カップルはもう海外に出なくてもよくなるかもしれない。2009年にインドネシアの産婦人科医たちが、不妊カップルを支援するための団体Perfitriを設立した。この協会は、インドネシアの8つの主要都市にある不妊クリニック20施設と、南スマトラ州パレンバンと南スラウェシ州マカッサルにもうすぐオープンする2施設で構成されている。
「協会のクリニックは、不妊専門医とトップクラスの設備を抱えているからね。治療のことから費用のことまで様々な相談にのるよ。」と議長のSoegiharto氏は言う。現在、医師、エンブリオロジスト、看護婦を含めた医療専門家120人が、協会のメンバーになっている。Perfitriは MauPunyaAnak.comというウェブサイトも運営しており、IVFに関するあらゆる情報を提供している。
2012年3月に初の学会を開催したPerfitriの支援により、2011年には、国内のIVF数が前年の50%増の3000になる見通しである。
Perfirtri の事務局長Budi Wiweko氏は、地方クリニックでのIVF治療が進んだこと、病院が不妊治療をカップルに勧めるようになったことで、国内のIVF患者数は上昇を続けると予測している。

インドネシアの社会的、文化的規範は、結婚したカップルが子供を生むことを当然の義務とみなす。世界で4番目に人口の多い国でありながら、こうした理由で、インドネシア国民は産児制限になじまなかった。カップルたちが、子供を持つためならば技術利用を含めて何でもやるのは、こうした社会通念と政府の曖昧な人口政策とが原因となっている。

結婚して1年半後に医師から不妊の診断を受けたShanty S. Marthondy も、その1人である。40歳のShantyは、卵管に問題があり、妊娠できないことが分かった。どうしても子供が欲しかったShantyは、夫に頼み、シンガポールでIVF治療を受けた。しかし、着床後2週間で流産してしまう。

彼女はインドネシアで不妊センターを探すことに決めた。治療中の家族の協力が不可欠だと気付いたからだ。「国内の方がいいです、安心できますから。」と彼女はインタビューに答えている。シンガポールとインドネシアでそれぞれ一回ずつ失敗を経験したのち、2009年、ジャカルタにあるCipto Mangunkusumo General HospitalのYasmin fertility clinicで、彼女は子供を出産した。2年後には同クリニックで2人目を生んでいる。
「最初は、シンガポールの治療費とそれほど違いはありませんでした。けれど、宿泊費や食費のことを考えると国内の方が安くつきましたね。」とShantyは言う。インドネシアのIVF治療費は約US$4,400、シンガポールでは約US$5,034である。

2012年2月にはPerfitriとドイツの医薬品・化学品メーカーであるMerck(メルク)が協力してIVFをインドネシア社会に広めていくという発表があった。決して安いとはいえないインドネシアのIVF治療だが、今後、急速に浸透していきそうな気配を見せている。

From tube to cradle
[The Jakarta Post, 04/10/2012]

PERFITRI

PERFITRI and Merck socializing IVF to Indonesian Society
[MERCK press release 14th February 2012]

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by technology0405 | 2012-04-20 17:04 | Countries | Comments(0)

2008年、59歳のフランス人女性が、ベトナムで卵子提供を受け、帰国後三つ子を出産した。50代後半の女性が三つ子を出産した例は、フランスでも、世界的にも前例がなかった。(のちに2010年インドのNational Fertility & Test Tube Baby Centreで、66歳の母親が体外受精で男児2人と女児1人の三つ子を出産している。)
フランスではこの出産が大変な物議をかもした。というのも、国の法律では42歳より高齢の女性が卵子提供を受けることが禁じられているからだ。

女性は帝王切開で男児2人と女児1人を出産した。子供たちの体重は2.09㎏から2.4㎏で、全員健康だった。「全てが順調にいった。」と女性が出産したCochin病院(パリの有名な病院)のスポークスマンは語った。

ベトナム出身のこの女性は、卵子提供と体外受精の年齢制限――ベトナムでは45歳に設定――に目をつぶってくれる個人クリニックをベトナムで探した。海外での治療を規制する法律はフランスに存在しない。

三つ子出産のニュースは、科学が出産年齢の限界を押し広げ過ぎたのではないかという議論を専門家の間に引き起こした。「こんなに高齢で出産するのは、子供の成長においてよくない。」と小児精神科医Nicole Garret-Gloanec氏は言う。「出産年齢にある女性は、自身の子供時代と自分の子供との間に関連性を導き出すことができるのです。」

National Association of Early Childhood Psychologistsの会長 Dominique Ratia-Armangol 氏も、こうしたケースでは子供の育て方に問題が起きると言う。高齢女性に育てられた子供は、祖母の役割と母親の役割を混同するようになるというのだ。

Garret-Gloanec 氏によると、女性が高齢になって子供を欲しがるのは、老化や死に対する「否定」の表れだという。「自分自身の死への不安を子供に投影するのは、健全ではない。」と警告した。

Woman, 59, has triplets after egg donation
[THE AGE September 10, 2008]

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by technology0405 | 2012-04-17 16:02 | Countries | Comments(0)

ウクライナ初の体外受精児は、1991年3月にKharkovで生まれた。Fedir Dakhno博士が1984年に体外での卵子受精に成功してから7年後であった。母親の名前はValentine Kuleva、生まれた子供はKaty。初の代理出産児が生まれたのも同年1991年だと報告されている。
現在ウクライナの体外受精児の数は累計16000人。代理出産児の数は正式には公表されていない。

不妊ツーリズム市場も伸びている。Vlast Deneg紙の記事によると、2008年から2010年の2年間でウクライナの不妊治療を利用した外国人は2000人以上、2005年に不妊治療市場の5%を占めていた外国人の割合は、2010年には30%に急増した。

the Institute of Reproductive Medicine(IRM)
Professor F.V. Dakhno の不妊治療センター
by technology0405 | 2012-04-12 12:08 | Countries | Comments(0)
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