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インド不妊女性のスティグマに対する日常的抵抗

STIGMA AND EVERYDAY RESISTANCE PRACTICES ――Childless Women in South India――
Catherine Kohler Riessman
Gender & Society February 2000 14: 111-135

インドにおいて、子供を生み育てることは女性の権力と福祉に直結し、生涯にわたり、その女性に確実かつ実質的な利益をもたらす。子供の存在は、愛情が薄れがちな見合い結婚での夫との絆を強め、拡大家族や地域社会における女性の地位を上昇させる。また子供がいれば、姑という地位――インド家庭ではかなりの権力と影響力を持つ――を最終的に手にすることができる。一言で言えば、母になることは、インドの階級社会――ジェンダー、カースト、階級によって細かく階層化されている――において決定的に重要な文化的要素なのである。そうしたイデオロギーは、心理的、感情的言説(女性が子供を望むのが「自然」であるetc)によって隠されている。
南インド(ケララ州)の既婚女性たちは、支配的な家族形態とジェンダーイデオロギーの中でその価値を判断される。こうした権力に対する女性の語りには、いくつかの抵抗の形態がみられた。
対立を故意に避けるタイプ(戦略的回避型)、周囲に態度を表明するタイプ(発言&実践型)、母親になること自体に価値を置かないタイプ(母性放棄型)の3つである。

抵抗の実践に関する研究は、局地的条件や行為の起こりやすさまで考慮に入れた文脈的アプローチが必要であるが、この場合の抵抗とは、単なる困難な状況への適応、対処、順応ではない。女性のエージェンシー(行為主体性)が目に見えていなくてはならない。その定義に照らし合わせながら、31人の女性のインタビューを検証した。女性たちは自分と自分の結婚を擁護し、家族内部のイデオロギーに反発しながら、考え、行動していた。オートナーの言うように、確かに女性の抵抗の過程には両面感情(ambivalence)が併存し、定義には曖昧さが伴う。ここでの抵抗とは、家族形態を変化させる意図の有無は関係ない(結局のところインタビュー対象者の大部分は子供を欲しがっていた)。むしろ女性の行為(や考え方)が、「家族」の再構成に影響を――それがどんなに小さくても――与えているかどうかがポイントである。子供のいない南インド女性は「権力の周縁部で交渉し、非対称な権力構造に抑圧されながらも、抵抗し、時にはその構造を弱めさえしながら」、スティグマと闘い、同時に家族に変化をもたらしていた。

戦略的回避型は、周囲の悪口を「深刻にとらないよう」に努め、「夫の親族にできるだけ会わないようにする」などの手段で自分を守る。45歳のヒンズー教徒の女性は、他人から冷笑を受けるたびに「とても落ち込んでいた」が、夫が無精子症だと診断されて以来、不妊が自分のせいではないという意識によって迫害を超越することができた。32歳の科学者の女性は、かつては子供を持たないことについて「延々と説明していた」が、話したくないことは話さない、他人には関係ないと無視できるようになった。

社会経済的に上位にいる不妊女性は、財があり相続人を持たない自分が親族から搾取を受けやすい立場にあることを自覚しており、義理の母のうわべの親切な態度にも懐疑的である。31歳の会計士の女性は「夫と離婚しても、仕事があるので生きていける」と語る。

こうした回避型は、内なる抵抗心によって抑圧の領域から脱却しようとする試みである。内面の声は外に出されることはないが(夫が無精子症である女性も、近所の人間にその事実を言わない)、現在支配的な家族の定義に亀裂を入れていく土壌となるであろう。

発言&実践型は、差別的な行為に対して、言い返すなど何らかの行動をとる。子供のことを言われると「子供だけが人生ではない」などと積極的に発言し、抑圧に抵抗する。35歳のヒンズー教徒の主婦は、陰口を叩く義母に嫌気がさし、夫と家を出た。「Gulf wife(湾岸への出稼ぎ労働者の妻。GCC諸国へのインド人出稼ぎ労働者は非常に多い。)」であるため子供のできない24歳のムスリム女性も、子供のことで何か言われると、夫に言い返している。彼女らの行為は、子供のいないスティグマ自体を消すわけではないが、家族や夫に何らかの変容をもたらす。
ただし、こうした日常的抵抗は、組織的活動には発展していない。インドで子供のいない家庭を築くことは、まだまだプライベートな問題として捉えられている。しかし、子供がいないことで女性だけが不利な立場になる社会では「女性は被害者」である。子供がいなければ女性の老後が立ち行かない問題についても、政策として手が打たれるべきであろう。

母性放棄型は、かなり「西洋化」された層である。インドでは子供をもつことが「規範」であり、その圧力はすさまじい。子供を持たない選択は「周囲に理解されず」「浮いて」しまう。その選択をした本人さえ「自分が正しいのかどうか分からなくなる」。周囲に子供のことを聞かれると「まだ治療中」だと答えてやり過ごしている者もいた。ある女性は、インドには子供が多すぎるので「人口問題に貢献している」と、「欠点」を「貢献」に変換していた。こうした女性たちは、前の2つの抵抗型とは異なり、子供を持たない人生を肯定し、家族の意味を拡大し再構成している。

この3つの抵抗は、非組織的で、かつ日常的な形態の抵抗行為である。必ずしもインドのジェンダーシステムからのイデオロギカルな開放につながるわけでもなければ、母性の強制からの開放さえ生み出すことはない。医療的な解決を求めるあまり、女性が不妊産業を促進させる役割を担い、その不妊治療が生涯にわたって女性を医療支配に委ねるきっかけになるという問題もある。

社会の変化はインドの女性にとって概して(特に家庭内で)可能性の拡大をもたらしたと言えるが、出産奨励主義――母性強制(compulsory motherhood)のイデオロギー――による抑圧は相変わらず続いている。母親になれない(ならない)女性はスティグマ化される。しかし、社会変化の文脈の中で、既婚女性は自分の子供を持たずに結婚を維持する方法を見つけ、そうした家族が新たな家族形態として位置づけられるよう望んでいる。女性の反応は多様であり(女性の教育的/職業的地位が、スティグマ経験、戦略、決断力を非常に左右していた)その相違は重要であるが、そうした貧富の差にかかわらず、子供のいない女性たちは周縁化や過小評価に対し受動的ではなかった。ただし美化は禁物である。その道程は、特に若い女性や、貧困と村落の文脈の中で生きている女性にとって困難を極める。しかし、たとえそうした子供のいない女性たちが、社会運動を行うような女性たちと団結する機会を失しているとしても、スティグマに対し抵抗する努力をしていることは調査で明らかであった。

南インドの女性たちが直面している様々な形の権力――親の権威、服従構造、ジェンダーイデオロギー、女性のセクシャリティの厳重な管理――のせいで、女性の抵抗はどうしても可視化されにくくなる。インドの不妊患者を調査した論文(Jindal and Gupta 1989)では、「自分に何か問題がある」と自己非難するのが一般的な女性不妊患者の意識であるいう結果が出ている。しかし本調査により、女性たちがスティグマを返上するための抵抗を日常的に行なっていることがわかった。我々は「目に見えない」日常的抵抗の存在を正しく認識すると同時に、西洋フェミニストの主体選択論などに陥らない抵抗論を打ち立てる必要がある。

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by technology0405 | 2013-03-15 17:12 | Countries | Comments(0)
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