ベトナムの伝統的「子宮中心主義」

The Womb, Infertility, and the Vicissitudes of Kin-Relatedness in Vietnam
by Melissa Pashigian
Bryn Mawr College 2009

フランスからベトナムにIVF技術が輸入されたのは比較的最近のことであるが、その結果生じたIVFプログラムの大々的な成功は、様々な反応を引き起こした。今やベトナムはIVFテクノロジーの分野を牽引する存在となった。IVFとその成功に関する言説の多くは賞賛的で、国家主義的ですらある。1998年4月30日、ベトナム初のIVF児3人が、計画的な帝王切開によって、ホーチミン市のツーズー病院にて鳴り物入りで誕生した。南ベトナム開放記念日とこの誕生日を同じくすることで、ベトナム国家が生殖補助医療技術の世界へ歩みだした、という印象を与えるよう演出されていた。
しかし、生殖補助医療の発展を歓迎する一方で、IVFがベトナム既存の生殖に対する考え方に反するのも事実であり、IVFに関する議論の多くは、どういった種類の生殖補助医療を認めるべきか、という点が中心となっている。

本論文は、ベトナムの親子関係、社会関係において「子宮中心主義」が根強く続いていることを明らかにする。この「子宮中心主義」は、2つの要素を基にしている。第一に、たとえ遺伝的つながりがなくても「血」のつながりは出産を通して確立されると信じられていること、第2に、2003年の政令Decree No. 12/2003/ND-CPが、他人の配偶子を使って妊娠出産した場合でも、出産した女性が正当な法律上の母親であると規定していること。父系中心主義の言説によって気づかれにくい子宮中心主義を明らかにする。

筆者は、ハノイとその周辺で、1995年、1997年、2004年に、不妊の社会的重大性と治療の模索に関する民俗学的調査を実施している。調査は、21歳から55歳までの不妊経験者40人と、不妊を経験せずに出産した10人の既婚女性、および不妊専門医、伝統医学専門の医師のインタビューを含む。
1997年、まだIVFが国内に導入される前のインタビューでは、女性たちにとって息子を出産することの重要性が強調される結果となった。長男以外の男性と結婚した不妊女性が男女に関わらず子供を望む傾向にあるのに対し、長男と結婚した女性は家系存続のために息子を産みたいという強い欲求を感じていた。父系主義の強いベトナムでは、IVFの持つ意味も西洋とは異なる可能性がある。1997年にIVF技術が導入された時、筆者は、IVF関連法に、この父系主義が何らかの形で現れるのではないかと考えた。

ベトナムのIVF導入は独特である。民間のクリニックを中心にIVFサービスを展開させたインドやエジプトなどと対照的に、ベトナムでは、三次医療を主とする既存のパブリックヘルスシステムの中にIVFを持ち込んだ。また、他国のように、宗教や宗教倫理がIVFによる出産に公然と関与することを許していない。その上、IVFの導入とその後の広がりは、急速な社会経済発展と社会変動――ドイモイ(1986年から現在に至る)――の時期をまたいでおり、こうしたことは世界でも他に例をみない。

裕福な西洋諸国において、不妊とは、結婚し、親になり、子育てをするという大人への直線的な道筋への途絶を意味する。一方ベトナムでは、人生というのはそうした安定した予測可能なものではなく、戦争や経済的不安定性が男女の結婚や生殖に影響を及ぼしてきた。また、霊界信仰や仏教信仰など伝統的に、生殖での成功は不確かで保証のないものとして捉えられてきた。ベトナムで不妊とは、生殖の途絶というよりむしろ前世での行いの結果であったり、選択、運命だったりする。ベトナムの妊娠出産による関係性の重視と、欧米の遺伝的つながりによる親子関係の重視は、極めて対照的である。欧米では、IVFの導入、特に代理出産によって、親子間の遺伝的つながりを改めて重要視する生殖文化というものが見直された。アメリカの代理出産の訴訟事件では、裁判所は親の決定の際にしばしば遺伝的つながりを重視した決定を下している。代理母が遺伝上の母親であってさえも、親権が与えられないケースもある。

国境や文化を超えた生殖補助医療技術の動きもまた、独特の局所効果を生み出している。アジアの低所得環境における生殖補助医療技術を調べた研究は少ない。局所的解釈によると、ベトナムのような資源の乏しい国で、ART技術の土着化が起きているという。ART法のあり方や人々のARTへの反応を調査することで、どのような価値観や行為が優先され、何を変えてもよいのかということがより明確になる。

大まかに言って、西洋の方が子供のいない女性に対する許容度が高い。ベトナムでは、不妊は女性にとってマイナス要素でしかない。Harriet Phinneyは、ベトナム人女性の中にシングルでも性行為や精子提供によって子供を生む者がいることについて、養子縁組より「自分で出産」する方を地域社会が重要視するからであると分析する。

「生殖補助医療による出産」に対する政策
1997年8月にベトナムにIVF技術が導入され、1998年に初のIVF児が生まれた当初、IVFを利用できる施設はホーチミン市のツーズー病院だけであった。当病院のIVFセンターは飛躍的発展を遂げ、1999年にはICSI児誕生、2003年には凍結胚を使用した子供の誕生、2004年には凍結精子と凍結卵を使用した子供の誕生と、国内初の成果を次々とあげていった。次第にハノイのNational Hospital for Obstetrics and Gynecologyを始めとする限定された国立病院でIVFが利用できるようになる。2001年、子宮筋腫で子供を生めない義姉のために、国内初の体外受精型代理出産で妊娠した女性のニュースが公開されると、誰が「本物の」母親なのかという法的問題に焦点を当てた報道が盛んになった。
2003年、政府は初めてのARTに関する政令Decree No. 12/2003 ND-CPを出す。この政令で、精子、卵子、胚の提供が認められ、代理出産は禁じられた。つまりベトナム政府は、親子関係において、遺伝的つながりよりも出産の事実を重視するということを再確認した形になる。子宮は、ベトナム文化においても、現代の規制制作においても、母子のつながりの象徴なのである。

子宮を通して形成されるアイデンティティ
ベトナム文化では、子宮で母親から栄養的および感情的物質を受けることで、子供に「子宮アイデンティティ」が形成されると信じられている。子宮アイデンティティによって母と子は生まれる前から関係を深め、その関係は生まれた後も続くと考えられる。子供は生みの母に「所属するもの」である。こうした感情的つながりをベトナムではtình cym と表現する。tình cymは社会化やジェンダー適応の課程として論じられるのが一般的である。「白紙状態」である子供が成長とともにtình cymを形成することが重要であるとベトナム文化では考えられており、そのtình cym形成は母親のお腹にいる時から始まるという。39歳で一人目の子供を出産し、二人目不妊に悩むTuyêtは次のように言う。「夫婦の精子と卵子を使っても、妊娠する人が別の女性なら、子供は遺伝的つながりのある女性に対してtình cymを持たないだろう。」親子間のtình cymは、遺伝的なつながりでなく妊娠出産によって形成されると認識されている。

Partible Wombs
ベトナム人発祥の神話からも、ベトナム人の子宮に対する思いを読むことができる。神話では、貉龍君と嫗姫の間に生まれた百人の男の子が越族の祖先とされる。嫗姫は妊娠後、不吉な兆しだとされた子宮を野原に置くが、その子宮に入っていた百個の卵から百人の子が生まれた。嫗姫の子宮が体外にあった事実はIVFを連想させる。たとえ子宮が野原に捨てられたとしても、その子宮の持ち主である嫗姫が母である。ベトナムは代理出産を禁じることで、子宮による母子のつながりを分断することを避けたといえる。

Transactional Wombs
1959年に重婚が廃止されてなお、不妊を理由にした私的な重婚は今日でも目立つ。不妊を理由に2番目の妻との重婚を提案する夫は非常に多い。代理出産と重婚の境界は非常に曖昧で、その曖昧さをテーマにした映画も作られている。生殖技術のなかった時代、重婚は事実上の代理出産であった。19世紀末まで、家系を継ぐ男子の出産を目的として内縁の妻を持つことは法律で認められていた。妻にはランク付けがなされ、生まれた子供はあくまで生みの母親の子供とされた。第一夫人以外の女性が重婚により出産した場合でも生んだ女性を母親とする考え方は、現代でも続いている。
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by technology0405 | 2012-12-06 17:06 | Countries | Comments(0)
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