子宮移植の倫理的問題





2014年9月、スウェーデンで行われた子宮移植により初めての出産に至った。
これにより、子宮性不妊の女性が、子宮移植を受けて子どもを産むということが急速に現実味を帯び始め、国内でも注目されるようになってきている。
現在、日本の複数の施設で臨床研究が行われる計画が立てられている。子宮移植は、子宮がなく子どもを自分で産むことがこれまで叶わなかった女性たちにとって、「福音」になるとされている。
 子宮移植は、臓器移植と生殖補助医療の双方に関わる技術であるが、子の誕生を目的としたもので、生命の存続に直接関わるものではない。つまり、こうした技術が成り立つ前提として、生殖を是とする社会がある。そこでは、子どもを産むことが女性にとって望ましいという社会的な力が働いているということである。
  子宮移植によって子を産むことは生命維持には直接関わりのない技術であるが、顔面移植などQOLを改善するための移植は、既に行われてきている。子宮は、出産時、摘出されることが想定されているため、恒久的なものではなく、一時的な措置であるが、そのプロセスは極めて侵襲的でリスが高く、移植時には、ドナー、及びレシピエントへは、合計で十数時間もの大手術を有する。たとえ移植が成功したとしても、体外受精を経て妊娠出産に至るまでの負担やプレッシャーは非常に大きなものとなる。
 子宮移植以外に、子を得る方法として養子縁組や代理出産がある。ここでは、血縁がある子どもを得る、という点で代理出産との類似性や相違点に注目する。代理出産のメリットはカップルの受精卵を代理母の子宮に移植することで、カップルと血の繋がった子どもを得ることができるということである。他方、他人の身体を介在させることによって引き起こされるさまざまな倫理的問題がある。経済格差を背景に商業化される懸念も非常に大きい。
 他方、子宮移植のメリットは、血縁がある子どもを得ることができるだけでなく、子を望む女性自身の身体を用いての妊娠出産が可能になることである。妊娠出産のリスクを他人に押し付けるのではなく、子を望む女性自身が負うことにより、代理出産において指摘されるような倫理的問題を回避することができる。そして何より、自分で妊娠することにより、妊娠中の日常生活を自分で管理できる。
 自分で妊娠出産できること、というのが代理出産に比べ、子宮移植のメリットになるが、移植された子宮を用いての妊娠出産は、従来の妊娠出産過程とは全く異なるものになる。
 ここでは、レシピエントの経験に焦点をあてたい(詳細は論文化したいのでここでは簡潔に述べる)。移植手術から免疫抑制、体外受精、その後の妊娠出産に至るまで、一般的な妊娠出産とはおよそ異なるプロセスが展開されることになる。妊娠中、生命に関わる不具合が生じれば、移植された子宮を胎児ごと摘出しなければならない可能性もある。その喪失感は当人が被るリスクとして無視ではない。そして、何より、子宮移植は治療ではなく、臨床研究である。実験的な医療ということであり、万全の医療体制が敷かれ、すべてが医療の監視下に置かれることになる。その結果、女性や家族のプライバシーが医療者に対して晒され、大きなストレスになる可能性もある。たとえ無事、出産に至ったとしても、それまでのレシピエントの負担は、自然妊娠出産の場合とは比較にならないほど大きい。
 さらに、移植される子宮には神経は繋がっておらず、胎動など胎児の成長を、子宮を通した感覚として捉えることはできない。出産時も、陣痛は生じず、帝王切開となる。つまり、通常の妊娠出産とは全く異なり、産む女性が、「母性」を育むとされる契機が欠けているのである
 一般に、医療の発展や技術革新は人々に新しい選択肢を与え、それは好ましいことだと歓迎される。子宮移植に限らず、日々、新しい技術の開発競争が行われ、技術を提供する側の主導で開発がなされがちである。その結果、当事者のニーズとは懸け離れたものとなる恐れもある。リスクを負うのは、被験者となる人々である。こうした点を考慮し、ドナーとレシピエントが真に納得し自己決定を行うことができるよう、必要な情報提供を行うことが必要である。子宮移植以外の選択肢が必ず検討されるべきである。どのような結果が招来されても受け入れることができるようケアの専門家が関与していくことが不可欠であると思われる。
 



d0170396_12110100.png
  
[PR]
# by technology0405 | 2017-12-03 10:21 | Discussion | Comments(0)
各国のARTに関する資料や記事を集めています (※ このブログに書かれている情報の信ぴょう性は各自でご判断ください)